4月25日
10年以上前の事故なので10代20代の人はそもそも知らない可能性もあるかもしれません。
こんな書き出しですが、これは事故について詳しく解説する記事ではありません。
ただ私の心情を綴っただけの文をここに置いていきます。
私はその頃、同志社大学に通う大学生でした。
私がどういう風に関わったのかは詳しくは書きません。
事故や事件で日常が奪われると、多くの場合金銭的な補償の話が発生します。
そして最初は被害者に同情的だった世論が、金銭的補償の話になるとなぜか途端に厳しくなる。
福知山線の事故でもたくさんのバッシングを耳にしました。
事故に関することをネットで見るのが嫌だった。今でもこの件に纏わるコメントは読みません。
私が同志社の学生だと知ると事故の話を聞いてくる人達。
心配からの言葉か興味本位の言葉なのか悩み、曖昧に濁した返事しかできませんでした。
そして事故の報道。
一部報道関係者(と呼ぶには値しないと思っています)が学生に声をかけ、入院中で面会謝絶の事故被害者からコメントを取ろうとしたことがありました。
大学の周りはマスコミ関係者であふれ、その中には心無い言葉や態度で学生を傷つける大人もいました。
若かった私には事故そのものも事故を起点とした出来事も理不尽でしかなく、なにかあっては怒ったり泣いたり、感情を制御することができませんでした。
今になれば、無関係な立場の人のただの感想に傷つけられる必要はないと思えます。
声をかけてくれた人の中に、本当に心配してくれた人がいたことも分かります。
報じることで「なかったこと」にさせない使命を理解できます。
それでもやはりあの時の気持ちは忘れられない。
15年がたった今。
世間が騒ぐような悲惨な事件や事故があったとき、それを刺激として楽しんでいる自分がいないか自問します。
ニュースの向こうに、安否がわからないまま過ごしたあの夜と同じ思いを抱えた人がいることを忘れたくないなと思います。
数年後に参加した追悼礼拝での讃美歌の美しさ。辛くても悲しくても綺麗なものは綺麗なんだなと少し笑えて、涙が出たことを一生忘れません。